KlarnaがSalesforceとWorkdayを解約した衝撃──「シート課金SaaS」の終焉とAI時代の企業戦略
Klarnaは生成AIの導入によりカスタマーサポートの「フルタイム700人分」の業務を代替し、年間4,000万ドル規模の利益改善を実現したうえで、SalesforceとWorkdayの解約に踏み切った。この決断は「従業員数×ライセンス単価」で成長してきたSaaSビジネスモデルの構造的限界を示しており、今後は従量課金・成果報酬型へのシフトが加速する見込みだ。企業経営者にとっては、AIによる業務自動化と「データ主権」の確保、そしてSaaSベンダーとの契約条件の見直しが急務となっている。
2024年から2025年にかけて、SaaS業界に激震が走った。スウェーデン発のフィンテック企業Klarna(クラーナ)が、長年利用してきたSalesforceとWorkdayの契約を打ち切り、AIを活用した内製システムへの全面移行を宣言したのだ。この決断は単なるコスト削減施策にとどまらず、過去20年間ソフトウェアビジネスの黄金法則とされてきた「シートライセンス(ID課金)モデル」に対する明確なアンチテーゼとして、世界中の経営者やIT部門に衝撃を与えている。本記事では、Klarnaの事例を起点に、SaaS業界がなぜ転換期を迎えているのか、そして企業が今後どのような戦略を採るべきかについて、深く掘り下げていく。
Klarnaとは何者か──フィンテック界の異端児が起こした革命
KlarnaがSaaSの解約を発表したとき、多くの業界関係者が「また大げさなPRでは」と懐疑的な目を向けた。しかし、Klarnaという企業の過去の行動を知れば、この決断が単なるパフォーマンスではないことがわかる。
Klarnaは2005年にスウェーデンで創業した決済サービス企業であり、いわゆる「Buy Now, Pay Later(BNPL:後払い決済)」の先駆者として急成長を遂げた。世界150カ国以上で1億5,000万人のユーザーを抱え、1日あたり340万件以上のトランザクションを処理するグローバル企業だ。累計で40億ドル以上の資金調達を行い、フィンテック分野では最も注目される企業のひとつとして知られている。
そのKlarnaが2024年2月、OpenAIと提携したAIアシスタントのパフォーマンスを公開した。驚くべきことに、導入からわずか1カ月で、このAIアシスタントは全カスタマーサービスチャットの3分の2にあたる230万件の会話を処理していた。これはフルタイム従業員700人分の業務量に相当し、顧客満足度スコアは人間のエージェントと同等、問い合わせ解決の正確性は人間を上回り、リピート問い合わせが25%減少、対応時間は従来の11分から2分未満へと大幅に短縮された。
この実績を背景に、Klarnaは従業員数を5,500人から3,400人へと約40%削減。さらにCEOのセバスチャン・シェミャトコフスキ氏は「AIはすでに人間のあらゆる業務をこなせる」と公言し、2025年末までに従業員数を2,000人にまで縮小する計画を示唆している。
なぜSalesforceとWorkdayが「切られた」のか
KlarnaがSalesforceとWorkdayを解約した背景には、AIの能力向上という技術的要因と、SaaSの価格モデルに対する経営的な疑問という二つの側面がある。
従来のSaaS製品、とりわけSalesforceやWorkdayのような大規模なエンタープライズ向けプラットフォームは、その多機能さゆえに「情報の巨大な箱」として機能してきた。営業管理、顧客データの追跡、人事評価、給与計算など、企業活動に必要なあらゆる機能が詰め込まれており、一度導入すれば様々な業務をカバーできるという安心感があった。
しかし、この「全部入り」の思想には隠れたコストが存在する。機能の複雑さゆえに、運用には専門の担当者が必要になり、カスタマイズには高額なコンサルティング費用がかかる。加えて、従業員一人ひとりにライセンスが紐づくため、組織が大きくなればなるほど、毎月・毎年の支払いは膨らんでいく。
ここでAIが登場すると、状況は一変する。KlarnaのAIアシスタントは、自然言語でデータを整理し、レポートを作成し、顧客対応まで自律的にこなす。従来は人間が複雑な管理画面を操作して行っていた業務の多くが、AIによって「見えない形」で処理されるようになった。こうなると、豪華な管理画面に従業員を張り付かせ、一人あたり数百ドルのライセンス料を支払い続ける意味が問われ始める。
シェミャトコフスキCEOはSNSでこう発言している。「AIを活用することで、これまでSaaSプロバイダーが提供していた価値を標準化し、簡素化できる。結果として、多くのプロバイダーを廃止し、集約している」。Klarnaにとって、SalesforceやWorkdayはもはや「成長を支えるツール」ではなく、「効率化の足を引っ張る負債」になっていたのだ。
「シート課金」モデルが抱える構造的矛盾
SaaSビジネスの成長方程式は、これまで極めてシンプルだった。顧客企業の従業員数が増えれば、ID数(ライセンス数)が増え、売上が伸びる。この「従業員1人につき○円」というモデルは、2010年代を通じてSaaS企業の株価を押し上げ、投資家にとっても予測可能な収益をもたらす理想的なビジネスとして評価されてきた。
しかし、AIの本格普及により、この前提は音を立てて崩れ始めている。
問題の核心は、「AIで業務を効率化し、従業員を減らせば、本来ならコストも下がるはずなのに、シート課金モデルではその恩恵を企業が享受しにくい」という点にある。効率化を進めても、残った従業員分のライセンス料は依然として発生し続ける。むしろ、一人あたりの業務量が増えれば「もっと多くの機能が必要」とアップセルを提案されることさえある。
McKinseyが発表した調査によれば、ソフトウェアベンダーの63%が「AIによって自社のビジネスモデルが3〜5年以内に根本的に変わる」と回答している。Partner Economicsのパートナーであるジョージ・ブラウン氏は「エージェント型アーキテクチャーへの移行は、クライアント/サーバーベースからクラウドへの移行よりもはるかに速いペースで進む」と予測し、「企業は20%以上のコスト削減を無視できない。見過ごせば競争力を失う」と警告している。
シート課金SaaSの時代は、確実に終焉へと向かっている。
従来のSaaSと次世代のSaaS/AIスタックの比較
ここで、従来のSaaSモデルとAI時代に求められる新しいモデルの違いを整理しておこう。
| 項目 | 従来のSaaS(2010年代〜2023年) | 次世代のSaaS / AIスタック(2025年〜) |
|---|---|---|
| 課金単位 | ユーザー数(ID課金・シートライセンス) | 処理量・成果・APIコール(従量課金) |
| 主役 | ツールを操作する「人間」 | 自律的に動く「AIエージェント」 |
| 導入目的 | 業務のデジタル化・情報の記録 | 業務の完全自動化・業務プロセスの消滅 |
| システムの形態 | 巨大なスイート型(All-in-one) | 軽量なマイクロサービス / 自律内製 |
| ベンダーロックイン | データがプラットフォームに囲い込まれやすい | データ主権を企業側が保持しやすい |
| 価値の源泉 | 機能の多さ・UIの洗練度 | アウトカム(成果)・スピード |
この表からわかるように、AI時代のソフトウェア選定基準は「どれだけ多機能か」から「どれだけ成果を出せるか」へと移行している。従業員がツールを使いこなすのではなく、AIがツールを不要にする──これが新しいパラダイムの本質だ。
SaaSベンダーに迫られる「二つの選択肢」
シート課金モデルの機能不全が明らかになる中、SaaSベンダーは大きく二つの方向性を迫られている。
一つ目は「従量課金・成果報酬型」への移行だ。使った分だけ課金する「Usage-based」、あるいはAIが解決したチケット数や成約件数に応じて課金する「Outcome-based」のモデルへの転換である。顧客企業にとっては公平で納得感のある価格体系だが、ベンダー側からすれば、これまでの「安定した積み上げ型収益」を手放すリスクを伴う。特に上場企業にとって、予測可能なMRR(月次経常収益)やARR(年次経常収益)の減少は株価に直結するため、この移行は容易ではない。
二つ目は「AIエージェント」としての進化だ。単なるツールとしてソフトウェアを提供するのではなく、自律的に働く「デジタル労働力」としてソリューションを販売するアプローチである。すでにSalesforceはAgentforceというAIエージェント基盤を立ち上げ、Workdayも独自のAI機能強化を進めている。しかし、この戦略にも難点がある。顧客から見れば「それなら自社でAIを構築すればいいのでは?」という内製化の選択肢が常につきまとうからだ。Klarnaの事例は、まさにその内製化を選んだ企業の成功例として、他の企業にも「自分たちでもできるのでは」という勇気を与えている。
私が考えるこの変化の本質と具体的なユースケース
ここからは、筆者個人の見解と、実際に目にしている現場の変化について述べてみたい。
Klarnaの事例を「極端な例」として片付けることは簡単だ。彼らはIPOを控えており、収益性を高めるためのコストカット圧力が強かったという見方もある。それは事実だろう。しかし、私はこの動きがより広範な企業に波及する可能性を感じている。
実際、私が関わるスタートアップの中には、創業時からSalesforceを使わない選択をしている企業が増えている。彼らはNotion、Airtable、そしてChatGPTやClaudeといった生成AIを組み合わせて、CRM機能を自前で構築している。「最初からSalesforceを入れると、そのUIに合わせて業務を設計しなければならない。でもAIなら、自分たちの業務に合わせてシステムを作れる」というのが彼らの言い分だ。
もちろん、すべての企業がKlarnaのようにSaaSを解約できるわけではない。大規模なエンタープライズでは、既存のワークフローとの整合性、コンプライアンス要件、グローバル展開時の多言語対応など、一朝一夕には解決できない課題がある。しかし、新規プロジェクトや新規事業部門から「まずは軽量なAIスタックで始める」という選択肢は、今後ますます現実的になるだろう。
具体的なユースケースとしては、以下のようなケースを見聞きしている。まず、カスタマーサポートのAI化はすでに多くの企業で進んでおり、Klarnaほど大規模でなくても、中小企業がZendeskやIntercomの代わりに生成AIベースのチャットボットを導入する例が増えている。次に、営業進捗管理では、SpreadsheetとAIを組み合わせて、Salesforceのダッシュボードに相当する機能を自動生成する仕組みを構築している企業もある。また、人事管理においては、従業員50人以下の企業であれば、NotionやGoogle Sheetsとワークフロー自動化ツールの組み合わせで、Workdayが提供する機能の大部分をカバーできてしまうケースもある。
この流れは、「大は小を兼ねる」時代から「必要十分で軽量なものが勝つ」時代への転換を示唆している。
経営層が今すぐ問うべき三つの質問
Klarnaの事例を自社に当てはめたとき、経営層が検討すべきポイントを三つに絞って提示したい。
まず一つ目は「そのSaaSは、AIによって不要になる業務を管理していないか?」という問いだ。典型的なのがコールセンター向けのCRMだ。AIがチャット対応や音声対応を代替するなら、「オペレーターが使うためのCRM」のライセンス数は当然減る。それでもベンダーは最低契約人数や年間コミットを求めてくる。このギャップが、Klarnaのような解約判断につながっている。
二つ目は「データの主権はどこにあるか?」という問いだ。SaaSにデータをロックインされていると、自社でAIを構築しようとしたときに大きな障壁となる。API経由でデータを取り出せるのか、取り出す際のコストはいくらか、競合サービスへの移行は制限されていないか。これらを契約更新時に改めて確認すべきだ。データをSaaSの「ハブ」として預けるのではなく、「使い捨てのUI」として割り切る発想が求められている。
三つ目は「ベンダーとの契約は柔軟か?」という問いだ。従業員が増えてもコストが比例して上がらず、AIで効率化したときにはコストが下がる。そのような従量課金型や成果連動型の価格体系を交渉できるかどうかが、今後のIT戦略を左右する。すでに一部のSaaSベンダーはハイブリッド型(基本料金+従量課金)への移行を始めており、こうした柔軟なベンダーを優先的に選ぶという視点も重要だ。
FAQ:よくある質問と回答
Klarnaは本当にSalesforceとWorkdayを完全に解約したのか?
報道によれば、SalesforceはすでにKlarna社内でシャットダウンされ、Workdayも2024年中に停止される予定だとされている。ただし、すべての機能を一夜にして置き換えたわけではなく、段階的に内製システムへ移行している模様だ。
中小企業でもSaaSの解約は現実的なのか?
企業規模や業種によるが、SaaSの「全解約」を目指す必要はない。むしろ、AIで代替可能な領域を特定し、部分的に内製化やより軽量なツールへ移行するアプローチが現実的だ。特にカスタマーサポートや定型的な事務処理は、AI化の効果が出やすい領域と言える。
SalesforceやWorkdayは今後どうなるのか?
両社ともAIへの投資を強化しており、SalesforceはAgentforce、WorkdayはAI機能の統合を進めている。シート課金の比率を下げ、従量課金や成果連動型の価格モデルを取り入れる動きも見られる。ただし、巨大な既存顧客基盤を抱える彼らが急激にビジネスモデルを変えるのは難しく、移行期にはスタートアップや内製化を進める企業との競争が激化する可能性がある。
AIによる業務代替で従業員は不要になるのか?
Klarna自身が当初発表したAI効率化のシナリオに対しては、後に一部で人員を再雇用する動きがあったという報道もある。AIがすべてを代替できるわけではなく、例外処理、複雑な判断、人間同士の信頼構築が必要な業務は依然として残る。ただし、定型的なタスクの多くがAIに移行するのは避けられないトレンドであり、従業員の役割は「作業者」から「AIの監督者・例外対応者」へとシフトしていくと考えられる。
結論:AI時代の「真のDX」とは何か
Klarnaの決断は、SaaS業界に対する「宣戦布告」と呼ぶにふさわしいインパクトを持っている。しかし、これは特定の企業だけの話ではない。「効率化すればするほど、固定費としてのライセンス料がのしかかる」という歪んだ価格構造に疑問を持ち始めている経営者は、世界中に数多く存在する。
私たちが目指すべきDX(デジタルトランスフォーメーション)のゴールは、ツールを増やすことではない。AIによってツールそのものを透明化し、人間を管理コストから解放することにある。かつてのDXは「紙をデジタルに置き換える」「属人的な業務をシステム化する」というフェーズだった。しかし、AI時代のDXは「システムさえも意識させない」という次元へ進化しようとしている。
「従業員1人につき○円」という請求書に違和感を覚えたとしたら、それはあなたの会社がAI時代への準備ができているサインかもしれない。その違和感を大切にし、次の契約更新時には、ベンダーに対して「なぜこの価格モデルなのか」と問いかけてみてほしい。その問いかけから、新しい時代のIT戦略が始まる。